KINDWARE

正装

フォーマルウェアの根本哲学:いつ・何を着るか

正装を着た男性

正装とは何か ― フォーマルウェアの本質
「正しい服装」を短く言い換えると、それは「正装」となります。本来、正装とは『どんな場面で、どんな服装をすべきか』を体現するものです。社会の一員として生きている以上、私たちは正装という概念と無縁ではいられません。そしてその原則こそが、フォーマルウェアの根本なのです。

森鴎外と「正装」
明治の文豪として知られる森鴎外(もり おうがい)。彼は文学者であると同時に、陸軍の軍医でもありました。明治32年(1899年)6月8日、森鴎外は軍医正から軍医監へ昇進し、小倉に赴任します。このときの日々を綴ったのが、彼の記した『小倉日記』です。その『小倉日記』に着想を得て、後に作家・松本清張が書いたのが、『或る「小倉日記」伝』。この作品で松本清張は芥川賞を受賞し、作家としての地位を確立しました。

小説『鶏』に見る"正装"の意味
森鴎外は『小倉日記』とは別に、小倉赴任にまつわる短編小説『鶏』も書いています。そこには、次のような描写があります。「隊から来てゐる従卒に手伝つて貰つて、石田は早速正装に着更へて司令部へ出た。」この「石田」は、鴎外自身を投影した人物とされています。ここに登場する「正装」は、明治期の陸軍における5つの服装分類のひとつでした。

明治陸軍の服装分類と現代フォーマルウェア
明治時代の陸軍では、以下の5種類の服装が定められていました:正装、軍装、礼装、通常礼装、略装。これらは、場面や儀礼に応じて使い分けられていました。もちろん、私たちが現代にこれをそのまま取り入れる必要はありません。ですが――フォーマルウェアにも、これくらいの多様性と細やかな区分があっても良いのではないでしょうか。

正装とは単なる「かしこまった服」ではなく、場にふさわしい装いを選ぶ知性と品格のあらわれです。明治の軍人であり文人でもあった森鴎外が体現したように、正装とは、その人の立場や状況、そして相手への敬意を表すための服装。それは今日のフォーマルウェアにも、確かに通じるものがあるのです。