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タキシード

燕尾服からタキシードへの変遷

タキシードを着た男性

タキシードがアメリカで誕生したのは、1886年10月10日のことです。これは以前にもご紹介した通りですが、誕生したからといって、すぐに一般に広く普及したわけではありません。当時、19世紀末の正装といえば、あくまでも燕尾服が主流だったからです。

タキシードが燕尾服に代わって主流のフォーマルウェアとなるのは、1930年代に入ってからのことです。

懐中時計から腕時計へ――時代の移り変わり

この変化は、服装の歴史だけではなく、時計のスタイルにも表れています。懐中時計が主流だった時代から、腕時計が主役となる時代への移行もまた、1930年を境に起こりました。時計産業の中心地であるスイスでは、ちょうど1930年を頂点に、懐中時計と腕時計の生産数が逆転しています。つまり、それ以前は懐中時計が多く作られており、それ以降は腕時計の生産が上回るようになったのです。

昭和初期の日本とタキシードの広まり

1930年(昭和5年)に日本で出版された『洋服通』という本があります。著者は上原浦太郎氏で、当時東京・赤坂にあった「上原洋服店」の店主。明治から続く名門店で、御所にも近い洋服店でした。この本は、当時の日本人の「洋服観」を知るうえで貴重な資料といえるでしょう。

1930年頃のニューヨーク:燕尾服からタキシードへ

『洋服通』の中には、ニューヨークにおけるタキシード着用者に関する記述もあります。おそらく1929年頃の話と推察されますが、当時、ニューヨーク中心部の紳士100人のうち、50人が燕尾服、残る50人がタキシードを着用していたそうです。

そのタキシードのうち、最も多かったスタイルは「シングル前・一つボタン・ピークト・ラペル(剣襟)」のデザインでした。これに対して、「シングル前・ショール・カラー(へちま襟)」のものは、わずか2%だったといいます。

また、タキシードに合わせるドレス・シャツの襟型では、ウィング・カラーが主流で、ダブル・カラーの使用率は16%程度だったそうです。このような記録からも、1930年がアメリカ、特にニューヨークにおける「燕尾服とタキシードの境目」となったことが分かります。